東京高等裁判所 昭和31年(ツ)47号 判決 1956年10月08日
上告人 控訴人・被告 高木竹次郎
訴訟代理人 橋本正男 外一名
被上告人 被控訴人・原告 金井初太郎
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人橋本正男、飯田淳正の上告理由は、別紙上告理由書記載のとおりである。
しかし、論旨引用の判例の趣旨は、本人の印章及び不動産権利証を所持する者が代理権ある旨を陳述した場合には、その者に当該不動産を処分しうる代理権ありと信ずべき正当の事由があるものと常に認定しなければならないというのでないことは明らかであるのみならず、原審は訴外福住宇吉が本件土地の売買当時被上告人の印章を所持していた事実を肯認していず、また同訴外人が本件土地の権利証その他同人が被上告人に代つて本件土地を処分できる代理権を有するものと推測できる資料を上告人方に持参したことを認めるに足りる証拠がないと判示しているのであるから、上告人が右判例を引用して原判決を非難するのは標的を失しているものといわなければならない。原審は、本件売買の数ケ月前に同様被上告人と上告人との間に締結された売買(いわゆる第一回の売買)においては、上告人がその売買の目的である土地に隣接する本件土地の買入を熱望したにもかかわらず被上告人は自己使用の必要上これを拒絶した事実、被上告人の居宅と上告人の居宅とが隣接し、しかも互に普通の隣同志の交際をしていた事実、第一回の売買に際しては被上告人自身が契約締結のため顔を出していた事実、訴外福住が被上告人の委任状等を持参していなかつた事実等を認定したうえ、かかる事情の下においては、上告人としては被上告人に対し本件売買の真意を一応確めるのが社会通念上当然であるが、上告人においてこの点を確めもしないで、訴外福住に本件土地の売買契約締結について被上告人を代理する権限があるものと判断したのは、普通の注意力を有する者としては当にとるべき措置をとらないで、右のように軽信したものというのほかなく、したがつて上告人において訴外福住に右代理権ありと信ずるにつき正当な事由があつたとは認めることができないと判示して、上告人の民法第一一〇条の表見代理に関する主張を排斥したことは原判文上明らかである。しかも原審が挙示する証拠によれば、上記原審認定の諸事実を認定することができ、また民法第一一〇条でいう正当の事由とは普通人の注意を用いても権限外の行為であることを看破できないことをいうものであるから、原判決には同条の適用を誤つた違法あるものということはできない。論旨は、原判文を正解せず、判例の趣旨を誤解し、独自の見解を以て、原判決を攻撃するものであつて、到底採用に値しない。
よつて民事訴訟法第四〇一条、第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長判事 柳川昌勝 判事 村松俊夫 判事 中村匡三)
上告理由
原判決は民法第百十条の規定の適用を誤つたものである。
上告人は、昭和三十年四月二十三日第一審口頭弁論に於て、「福住宇吉が、被上告人の代理人として上告人との間に本件土地を代金参拾万円で売買契約を為したこと、福住が被上告人の印鑑証明書、土地贈与証書を準備し登記を経由したこと」を主張し、「福住に代理権ありと信ずべき正当の理由があるもの」と釈明し、其立証として乙第二号証の登記済土地贈与証書を提出している。(記録三〇丁三一丁)第二審に於ても、昭和三十年八月十一日口頭弁論で同様の主張立証を為した。(記録八二丁)昭和三十一年四月十日付証拠説明書乙二号証に関する(五)乙十号証乙十一号証に関する(六)参照、而して、民法第百十条の正当の理由に関しては、大審院昭和六年(オ)第二二五四号昭和七年三月五日判決「本人の印章及び不動産権利証を所持する者が本人の為め金員借入及び抵当権設定の権限ある旨陳述した場合には特別の事情がない限り第三者においてこの権限ありと信ずるも已むを得ない」旨の判例が存するが、本件に於て福住が不動産権利証を所持したことは争なく、唯上告人に呈示した事実に争がある。しかし、其権利証と被上告人の印章を使用し、上告人に所有権移転登記迄経由した上は、右判例以上に強力に第三者をして代理権ありと信ぜしめるものといわねばならない。原審は「第一回売買から幾何もなく本売買を為すことは、幾分疑念を生ずるのがむしろ自然であろうと思われる」と認定したが、同業者であつて、被上告人が没落し金円を更に必要とすることを知り、且つ買戻約款を附けてあつた本件の場合、上告人が疑念を起さなかつたとて過失はない。また「上告人は隣りに居住し普通の隣同志の交際をしているのであるから…………売却の真意を一応確めるのが社会通念上当然であり、またそれは極めて容易である」と認定したが、この認定は不当である。即ち、第一回土地売買は、上告人が初対面である福住宇吉に依頼して、被上告人に申入れている(記録三四丁福住証言、二六九丁控訴本人証言)。尚、福住は被上告人の親友幸保幸八を通じて被上告人に申入れている(記録二四三丁幸保幸八証言、記録一八八丁金井節子証言)。この経過から見て上告人が、被上告人に対し直接土地を売るか否かを問合せる如きことが、礼儀上不可能に近いことを推測出来るに拘わらず、之れと矛盾した前記の認定を為したのは審理を尽さぬ結果と思われる。上述の如く原審が上告人に普通の注意力を用いず、軽信したものと認定した事由は薄弱であり、他に特別の事情がない限り前掲判例に徴し原審は民法百十条の適用を誤つたものである。